日記・コラム・つぶやき

Twitterより

twiterとこちらとを定期的に観てくれている友人から、「ブログに転載したら?ブログの更新がないと、ブログのお友達が淋しがるんじゃない?」と背中を押してもらい、久々の更新。

栗って結構高いので、買ってまでは食べ(られ)ない。でも、この季節、伯母が収穫し父が皮を剥いたものの一部を「〇子は栗が好きだから」と母が茹でて取り分けておいてくれる。毎年懐かしい故郷の季節便り。親って、そういうもので良いんだな…と思いつつ、我が子の一挙手一投足が気になる煩悩の秋。

黙って必要なものだけを差し出せば良いものを、要らぬ口出ししては疎まれる。親とは因果な生業よのぉ・・・・と自ら訳してみたりする。

幸せな学生時代

だったなぁ・・・・・・と、感慨に耽っています

今日、大学の恩師が、ご退官を記念して上梓されたご本(平野由紀子著 『青い宝石』青簡舎刊~簡は門構えの中が日ではなく月)が届いたのですDsc05950 

母校の大先輩であり、修士課程を修了されて十余年を経て着任されて以来、ずっと母校で教鞭を執られていた三十余年のあいだに、あれこれの機会にものされた文章をまとめられたもので、
Ⅰ.母校の「会報」に寄せられたものを中心に、恩師ご自身の”恩師”や亡きご友人たちをしのばれたもの
Ⅱ. 折に触れあちこちで書かれていた、女性と教育と仕事についての、先生のお考えを集大成したもの
Ⅲ. 先生のご専門分野の研究論文のうち”古文苦手”な者にもわかりやすく、選抜、註釈を添えられてあつめられたもの
Ⅳ.米ノースカロライナ大学でのスピーチ(未公刊・英文)
の四部に分かれている
そして表紙絵と、処々に散りばめられているぬくもりのある挿画は、恩師の研究室で学問を修めたアタシの同級生の手になるもの。。。。先生のご趣味と、お人柄とが滲み出て伝わるような、師弟愛溢れる良い絵です


大っぴらに「恩師」とお呼びしているのだけれど、アタシは本当に不出来な学生で
先生の研究室に所属していなかったばかりか、
先生のお授業は、”必修”のものは勿論受講したけれど、級友達が一人残らず履修した先生の選択の講義の時間は、アタシ一人、自分の興味のあった一般教養の『民俗音楽』だったか『女性史』だったか、学科を越えて自由に履修できた音楽学科の選択科目の授業だったかを登録していた
「変体仮名」の試験は卒試の時でさえおっかなびっくり汗だくモノ
とにかく、”お厳しい”と名高かった先生からは、お目に留まればお叱りを頂戴しそうで、学生時代は逃げ回っていた記憶がある

入学当初から、国文学や国語(日本語)に造詣や関心が深く、勉強熱心なクラスメイトが集う中、アタシは明らかに異端であり、間違いなく落ちこぼれだった
祖父を亡くした小学生の頃から心に決めた職業に就くべく、高校卒業するまで理系クラスに在籍していたアタシが
志望学部への進学の難しさ(大学を選べば何とかならないこともなかったのだろうし、実際高2の頃からはその路線で志望校選定も進めていたのだけれど、国家試験合格や卒業後の学閥のことを考えるとやはりアタシの当時の学力で合格可能圏の大学では心許なく・・・・どんなに望み頑張っても、なにせ、理系科目が壊滅状態ときていたから・・・・)と、何より目指していた職業への自分の適性のなさをやっと認識し、文系へ進路を変えようと決意したのが高3の夏休み
さて、ではどの大学の何学科を志望するか・・・という時に
当時師事していたピアノの先生からは高2のときに、音大に進むならそろそろ準備を始めましょう、と言われたのを既にお断りしていたし
・本を読むことが好き
ただそれだけの理由で、文学部を
そして、哲学科や心理学科にも心惹かれたものの、最終的には
・英語で論文を読んだり書いたりすることが、まず求められそうにない
というなんとも後ろ向きな理由、そして、どうせなら当時母校の同学部の中で一番入学偏差値が高いところを目指してやろう!といういかにも世俗的な虚栄心で選んだのが母校の卒業学科だったのだから・・・・・
アタシ自身は(都合の悪いことはすぐに忘れてしまうので)すっかり失念していたのだけれど、結婚式に出席くださった別の恩師から
「新入生の歓迎茶話会の時に”君は姫路出身なの?じゃぁ、お夏清十郎の舞台にも詳しいね”と言った時に、反応がはかばかしくなくて、”こりゃ、ダメだ”と思ったのが第一印象」とのお言葉をいただいたのも無理からぬこと
本を読むのが好き、と言っても、好みは現代小説に偏向していたし、
高校時代には日本史を選択せず、アタシの日本史や日本文学史の知識は中学校レベルで先進んでいなかったのだから。。。。
そんな自分の学問への積極性のなさと適性、能力の欠如が、学生時代のコンプレックスであったことは言うまでもなく、卒業後もずっと級友達と恩師の先生方への”引け目”であった

しかし、先生は、学生時代は落ちこぼれで学業に無欲なアタシに格別お厳しくもなかった分、分け隔てもなく、むしろ卒業後、文学研究とはかけ離れた職業(結局それは、子どもの頃から目指していた職業とも違っていたけれど・・・・)に就いたアタシをも、大きな翼の元で見守ってくださった

そんな先生のこのご本の一番最初の文章にどれだけ救われたか・・・・
「なにをかくそう、小学生の私の夢は天文学者になることだった」
「私はやはり天文学に進まない方がよかったようなのだ」
「地球の外へロケットで出てゆけても、二度と再び戻って来られないにちがいない」
先生は頭打ちされることもなく、優秀でいらして、研究の道一筋に邁進され、その中で優秀な後継者を数多く育ててこられた方だから、アタシなどその翼の下に入れていただくのもお恥ずかしい・・・・とずっと思っていたのだけれど
あぁ、先生は”夢が叶う””夢をかなえる”コトばかりではないひとりひとりの人生を、どれも大切なもの、と認め慈しんでくださっていたのだな・・・そしてそれは、ご自身の経験に裏打ちされた、揺るぎないものだったのだな・・・と

普通なら封印したいはずの”落ちこぼれ”としての学生時代が
今も懐かしく、そして忘れえぬものとして温かく胸にあるのは
分け隔てなく
「女であるけれど男と同様、仕事をもって一生、社会と関わり続けたいと考え」
「人を愛し、子供を育て、日々を暮らすという、太古からの営みは、男も女も共に関わるべきではないかと考え」る教え子たちを同じ女性としての目線から深く理解し、応援してくださる恩師や
ひとりひとりの違いを認めたうえで、尊重できる、聡明な故に余裕のある(自分に余裕がない人間ほど、人の足を引っ張りたがり、口を開けば愚痴になるのは永年の人付き合いの中で見えてきた。。。)友人たちに恵まれていたから
そして、「恋の帰結と、ぬきさしならぬ人間関係が自分の周囲に出来上がっていたことへの自覚―これが、一人前としての日常、即ち生活人としての出発である」という先生のお考えが、
知らず知らずのうちに、齢を重ねるアタシに清々しい覚悟と気負いのない生活者としてのスタートを無理なく切らせてくれたのだと思う

先生がご退職なさった今、母校の雰囲気がどのように変わっているのか、私にはわからない
だけど、あの頃のアタシと同じ年齢に長じ、真剣に進路を考え始めた娘達にも、今のアタシのように
振り返って「学生時代は幸せだった」と思える学生時代を過ごして欲しい、と思うし、そう思える環境を自分の手で手に入れて欲しい!と切に思います

人間万事塞翁が馬

・・・・と、自分に降りかかった災厄にくよくよせず
前向きに明るく生きている人には
道は拓けるのだ・・・・・ということを
またしても実感した一日


高校卒業するまでうちに勉強しに来ていた友人の息子さんが
見事国立大に合格した、というご連絡をいただいたので
引越しされてからまだ一度もお邪魔したことがなかったご新居に
遊びに行かせていただいたの

そのお坊ちゃんが高校を卒業されて、予備校に通われるようになってからの1年間
ほとんど音信がなかったのだけれど、この1年の間に
若くして痴呆の症状が現れたお姑さんを引き取ることになり、一軒家を購入して大きなローンを抱えることになったこと
てきぱきと仕事をこなすことを上司から疎まれて、嫌がらせのようなカタチで職場を追われたこと
働き振りを買われて、このご時世に正社員に採用されて間もなくに癌が見つかって大手術をしたこと
その後、今に至るまでずっと癌再発防止の治療を続けていること

普通に聞いても”まぁ、なんて不幸が重なったのweep”という話だし、これを涙ながらに話されたら本当に聞く方も辛い話なのだけど
彼女、あっけらかんと
でも、あのまま派遣で前の職場にいたら、病気が見つかっても休職扱いになんてしてもらえっこなく、同情されながら仕事辞めることになってただろう(病気がわかった時に正社員として採用されていた職場では”完治するまで休職扱いにして待つ”と言われたそう)し
そりゃ、入院している間の家族の生活や、手術後のリハビリは本当に大変で辛かったけれど
介護が必要な家族がいること、高額医療費のかかる家族がいることで、お兄ちゃんが寮に入ることができた(27人しか入れないところに100人を超える応募があったのだそう)のだし
癌だけど早期発見で切除できたし、抗がん剤使ったら副作用とか色々出るけれど、アタシはホルモン剤と放射線治療だからまだましgood
まだ10年は生きたいやろ?って先生(医師)が言ってくれてんねん
と、話してくれた


華音さんになら話しても良いかな~と、お邪魔して久しぶりの挨拶もそこそこに、関を切ったようにご無沙汰の間のあれこれを話し始めて2時間くらいして初めて出た話
こんな話、聞いて楽しい話でもないし、そんな誰にでもする話じゃないと思うからさ・・・・と


明るく振舞っている人が万事うまく行っているわけではない
聞いた人間に負担を掛けることを気遣って話さずにしまっていることのある人はいくらもいる
だけど・・・・・・
そういう人たちがいつも明るく、すべてうまく行っているように見えるのは
”なんでアタシばっかり”と、不幸の安売りせず
客観的に”不幸”だと思うことを、”このお蔭で””こういう状況ではあるけれど、まだどん底じゃない”とプラスの要因に繋げて考えているから。。。。


親の介護
もう若くはない自分やツレアイが病を得ること
リストラや職場での面白くないこと
どれも他人事ではなく、いつ自分の身の上に起こっても不思議ではないこと
そういうことのひとつひとつを
どう受け止め、どう対処するか
そこに人間性が現れるし、その人や家族の生活の明暗が分かれる

どんな時も、プラス思考で明るく生きること
それがどんなに大事なことか
そういう生き様を見せてくれる友人に恵まれていることは
とってもありがたいことだ・・・と思うのです

教え方

今月いっぱい、いつも教えていただいているフラメンコの先生が
スペインに講習を受けに行っていらっしゃって
別の先生が代講を受け持ってくださっているのだけれど

楽しいんですよwww


いつもの先生は、今も年に2回ほど、ご自身の勉強のために渡西される本当に向学心の旺盛な方で
私たちにも高いものを求めてくださり
だからこそ、厳しく教えてくださっているのだ・・・とは
わかっているのですが
毎回同じことを、長々とお説教めいた説明を聞いている時間が長く
”また叱られた~~~~”と毎度どよ~~~んとした気持ちで帰っては
また次の週、気を取り直し、覚悟してお稽古に通う、ってことの繰り返しでした

代講の先生
”優しい”っていうのは、言葉遣いや話し方だけでなく
決して”甘い”とか”いい加減”ではなく、きちっと正しいことを伝えようとしてくださっているのは同じなんだけど
どうしてだろうな
楽しいんです♪

間違いを正す説明は簡潔で
とにかく動いている時間が長い
お説教よりも少しでも長く、1回でも多くステップを踏む
そんな感じのお稽古の進め方
また、誰かの動きがおかしいときも
毎回お決まりの”こういうのはダメ!”という説明ではなく
”どうしてそうなるのかなぁ??”とちょっと考えて”あ、そうだ、こうなってるからおかしいんじゃない?だから、こうやってみて!”と
個別のご指摘が、とっても的を得ている感じで。。。。

そう思ってるのはアタシだけかなぁ・・・と思っていたら
お稽古終わって着替えてる時のみんなが開口一番
「よく体動かして、楽しかったァ」「今日はいっぱいやったな、って感じ」と
いつもの先生の時には出ない言葉


”習う”コトは”教える”コトの裏返し
教え方一つで、自信喪失し、意欲も減退することもあれば
充足感を持って次のお稽古を楽しみにすることもできる
なんだって同じ
自分の”教え方”が、子分ちゃんたちの気持ちを萎えさせるものではないか、嫌いにさせ、やる気を喪失させていないか
自分が得たことを、自分の仕事にもフィードバックさせなきゃね

無題(あれこれすぎて、タイトル思い浮かびません 汗)

クリスマスローズが鈴なりに開花しましたDsc05822 
これまでアタシ、クリスマスローズって、葉っぱばかり大きくなって
花はその陰に隠れて、下を向いて咲いて
本当に慎ましい花だなぁ・・・と思っていたのです
こんなに可憐なのに、もったいない・・・とも

でも、お友達のお宅の庭先のクリスマスローズは葉っぱがほとんどなくて
「これって、葉っぱ切ってるの?」と聞くと
「そう、葉っぱが茶色くなり始めたら切るの」と教わりました
これまでアタシ、薔薇の摘蕾も、した方が良い(しないと大きな花が咲かない)と知ってはいても”刈り込み”と言うことがどうにも自分の情緒に適合しなくて
したことがなかったのですが、今朝、チビを送り出したついでにチョキチョキ。。。
うん!なるほど、去年のよりも随分すっきりと、お花もたくさん日が当たって嬉しそう。。。



『「自分濃度」を薄くすると、気持ちが透明になるものです』

今日新聞で見つけた、ウェブサイト『家出空間』の主宰者でお坊さんの小池龍之介氏のことば

心が疲れてしまうのは、自分への意識が強すぎるから
世の中には自我の欲望を煽るノイズが溢れている
そこに足を取られると”自分濃度”が濃くなり、気持ちがドロドロになる

あぁ、なんてわかりやすいことばなのでしょう

『俺様』はそんなにすごい存在なのか、と肩の力を抜くと
『我』から離れられ、楽になれる

本当にそうなのだと思います


宗教はどれも、根っこのところは同じ
大きなものの力の下
”生かされている”自分の存在を”活かしきる”みちしるべになるものではないか
人と争い、競うことを奨励している宗教はひとつとしてなく
悪名高い「目には目を」の精神の中にさえも見られない
(やられたらやりかえせ、は相手に”勝つ”為ではなく、それをすれば自分にも還ってくるのだ、という戒めなのだから)

「足りないものを手に入れるために努力する」
それを”向上心”という言葉で奨励しているのが競争原理の働く現代社会だけれど
”今足りていない10のもの”を追い求めるのでなく
”既に与えられている9990の恵み”に感謝する生活
                  (小林 正観『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社 より)
      

私はこんなことを知っている
私はこんなことに気付いた
私はこれだけ向上した
そういうインフォメーション、自己PRの溢れる狭い社会の中で
「彼我」というものから離れ
いまある幸せに感謝する
そういうことばや思想に触れると、暖かい気持ちになりますwww

勇気をくれるもの

それは、プラスの出来事からばかりとは限らない


我が家で定期購読している新聞の今日の朝刊
一面に真央ちゃんと姸兒選手の左右対称の写真
はじけんばかりの笑顔と、傲岸にさえ思えるほどの闘志と負けん気むき出しの勝負顔

そして、同じ朝刊の社会面には
ロシェット選手と美姫ちゃんの演技が終わった瞬間のショット

ロシェット選手の演技後の涙には、リアルタイムで演技を見ていて胸が詰まった
肉親の死、それも覚悟の死ではなく、思いもよらぬ突然の死から
勝負直前に受けたショックの程は想像して余りある
「彼女は今ジェットコースターのような時間を過ごしている。過度の期待は慎むべき」だというカナダチームの広報の配慮は素晴らしい

しかしまた、ロシェット選手、安藤選手双方に共通して書かれていた
”応援してくれる大切な人は天にいる”という思い
天を見上げ、天に想いを籠めて舞う姿
それもまた、彼女たちに言い知れぬ勇気と安心感を与えるのではないだろうか


もう10年以上も前に
初孫のアタシをとても可愛がってくれて、初ひ孫であった娘たちのことも本当に喜んでくれた祖母が亡くなったとき
悲しみは勿論あった
けれど、遠く離れて、アタシも家庭を持ち、訪問も間遠になっていた祖母が
天にいる、いつも見守ってくれている
そう思うことで、それまでよりもとても身近に思え、何ともいえない安らぎ、安心感に包まれた

それは、祖母が前倒しとはいえ卒寿をも迎え、充分に生きて後の別れだったから、かもしれない
いかに順番、とはいえ
突然に父母との別れがやってきたとして
それを冷静に乗り越えられるかと問われたら
自信を持って『大丈夫!』とは答えられない

けれど、天に召された愛する者の命が
『勇気』や『安心感』を与えてくれる・・・ということ
そして、その『勇気』や『安心感』に見守られた者の気丈な歩みは
観るものすべてに感動を与えるのだ、ということを
今朝の社会面の記事を見て、改めて強く感じたのは、アタシだけではなかっただろう

私にできること

ご講演を聴きに行ったことからご縁のできた医師でNPO「宇宙船地球号」代表(http://www.ets-org.jp/index.html)の山本敏晴さん(『徹子の部屋』にも出演なさっていたし、広く全国で精力的に講演活動をなさっているので、ご存知の方も多いかもしれませんね)から
最新刊の写真絵本を贈呈頂いた(http://kanon1211sukefuji.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/hiv-2a20.html

ご講演のあることを知り、”予習”として山本さんの著書を何冊か読み、そしてご講演を拝聴し、”生”山本さんのひととなりに触れてより
以来、毎回、山本さんの著書が出るたびに、図書館にリクエストして入れていただいていたので、今回も入荷待ちだったのだけれど
思いがけず送付頂き、感激!!
支援者も、お友達もたくさんいらっしゃるであろう中で、お選び頂き、貴重なご本をお送りいただいたのですから
そのお気持ちに、アタシはどうお応えすべきなのかしら????と
ご本のページをめくりながら、しばし思いに耽りました

「国連や援助団体だけで行うのだけが、国際協力ではありません。会社員になっても、主婦になっても、子どもでも、老人でも、世界のために、社会のためにできることはたくさんあります」
手っ取り早いのは『お金』かもしれない
だけど、お金を振り込んだだけで”協力”できた気になって満足してしまうのは、なにかアタシとしては”しっくり”こない

難しく考えずに・・・
まずは”できる”ことから。。。

まずは我が子に”伝える”こと
これが、今のアタシに、一番”たいせつ”で、”有効”なことかも。。。
中学時代に世界の貧困や環境問題に興味を持ち始めたおネエと一緒に聴きに行った山本さんのご講演で、彼女なりに得たもの、また、問題意識として新たに気付いたことは少なくなかったと思う
「文化人類学」のようなことをフィールドワークを通じて学びたい・・という”なんとな~~く”の方向性を持ちつつある彼女が
視野をより拡げてゆく一助にもなるかもしれない
そして、取り敢えずまだ自分の方向性を定め切れないチビにも
少なくとも”世界の現状”はいろんな角度から知って欲しい・・・と思う

『エコプロ』でフェアトレイドを謳っている団体が
「フェアトレイドが温暖化対策につながる」と説明してくださるのを聴いて
「えっ?フェアトレイドって、”途上国の人たちの労働搾取や児童労働を改善し、貧困を改善する”ことが目的、つまり経済問題への解決策でないの??」と思ってしまったアタシは、フクザツな世の中の仕組みの関わり合いに対応する柔軟な思考力に欠けているのだろう
また、一方で「エコ」を謳っていればイメージアップ・・・とばかりに
”無理矢理””こじつけ”な感じが否めない企業も少なくない
折りしもCOP15が開催されているけれど、今や「エコやってます」と言わなければショーバイ成り立たない、というご時世
”そのエコ、ジツハ成り立たせるために余計なエネルギー使っていませんか?余計な廃棄物を出してはいませんか?”という視点も必要だろう

耳あたりの良い言葉、すぐに結果が出そうな活動
そういうものに飛びつき、ノセられてしまうのでなく
”ホントのところ、どうなっているの!??”ということを
きっちりと、客観的に提示してくれる
そんな団体、活動を見抜く視点を
身近なところから培う
子ども達には、そんなことを期待し、そのための一つの”情報提示”として
山本さんの活動や著書を、紹介して行きたいな・・・と思う

http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/

↑山本さんのブログ
このブログでもリンクしていますが、結構”ぶっちゃけ”でいろんなこと書いてあって
面白いと思いますww

秋の日にもの思ふ

ここ数日で、対照的な母の物語を鑑賞した

http://kanon1211sukefuji.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-bf2c.html

http://kanon1211sukefuji.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-c360.html

母として
我が子に懸ける想いや願いは
誰しも、海よりも深く、山よりも高い(はず・・・それを秘匿するか誇示するかの違いはあれど)

それを子どもは
その子の個性や感性に応じて、様々に受け止め、反応して
人格を形成しながら長じてゆく

それは、親と子どもとのマッチングであり、相性であり
だから育児に”サンプル”はあっても”お手本”はない
だけど、その”サンプル”の中にヒントがあることも
これまた真実

どんな親でも、一番の願いは
子どもが健やかに真っ直ぐに生きてくれること
この根本のところが保証されていなかったら?????

人にはその人が乗り越えうる以上の試練は与えられない、という
それは、ある意味真実
だからこそ、子どもは”選ばれて”この世に生を受ける・・・ともいう
しかし、”試練”とは乗り越えるばかりではなく、中に稀に”受け入れる”しかない、ものもある

受け入れられるか否か
それも、その人の器に応じて与えられるのだろう・・・・とも思う
しかし、同じ”受け入れ”るにしても、それが”生”に向かうものと”死”に向かうものとでは
受け入れる者の負担には大きな差が生じる

辻井いつ子さんと、キャメロン・ディアズ演ずるサラ
どちらも気丈で、パワフルで、一生懸命で、決して諦めない”強い母親”
いつ子さんには、そのパワフルさの中にも、気負いのなさが突き抜けていて呆気にとられる(それが彼女のポーズ、だとしたら、アタシは体よく彼女の術中にハマっているわけだけれど・・・)
サラの一途さは、もうガチガチで、家族は勿論、観客のこちらまでもが息苦しくなる
そして、その一途さ故に、子どもの気持ちを見落とし、家族を混乱に追い込んでいる独り善がりの哀しさ
しかし、”そりゃ、そうなるよな~~”と共感したのはサラに、だった

子育ての悩みは本当にひとそれぞれ
人から見れば”そんなことくらい”という些細なことでも
それぞれの器によっては大きな壁
それを”乗り越え”あるいは”受け入れ”る時に
いろいろな母親の姿、は解決策を示してくれはしなくても
自分の足元を照らす確かな灯りにはなる
そんなことをあれこれ思った秋の一日

”私”から”無”へ

ヨガでよく言われるのが
「頭を空っぽにして、余計なこと考えずに、自分のカラダの内側に意識を向けて」

ヨガはスポーツではないから
無理をして体を痛めつけても意味はない
ヨガは自分のカラダと対話するためのアクティビティ
大好きな先生がよく仰る言葉

なるほど!
ヨガは哲学、なんだな
だから、生きること、にも繋がっていく。。。。。


でも、苦手なんだよね~、アタシ
”無”になること
己の内面に目を向けること

でも、これがとっても大切なことだ、っていうのは
わかる
すご~~~く、よくわかる


加藤ミリヤの『20-CRY』
娘たちがMDに落としているのを最近カーステで聴いてて
ツレアイと二人辟易してしまった

「わたしはひとり いつもひとり ずっとひとりで歩いていくのかな」

「ねぇ誰か助けて ねぇどうしたらいいの
もうわからないよ私の生まれたその意味を」

「ねぇ私に気付いて ねぇこの世界で一人だけでいい
ただあなただけ」

「私はここだよ ひとりCRY」

「私をお願いだからひとりにしないで
ねぇどうか私を必要としてよ 私を愛してよ」

これまで、ここまで”私が””私を”を絶叫した歌ってあったかしら??
演歌は自分の不幸を思いっきり謳うけど
これだけ”私”を誇示し”私”の要求を連射する歌詞も珍しい・・・・


20の時
確かに自己中で
理想ばかり高く
他人にばかり求めて
自分に原因のあることなど
考えてみようともしなかった

だけど
親に守られていた子ども時代、娘時代を過ぎ
”自分の足”で”自分の責任”で歩いてゆかねばならなくなってから
数々の困難にぶつかるたびに
強くなり
そして、それと同時に、とんがってたあちこちの角が
少しずつほんとにすこしずつではあるけれど、まぁるく磨き落とされていったような気がする。。。

自分を甘やかしてなぁなぁでだらけるのではない
誠実な努力を重ねつつ
それでも、それに執心するあまりに他者に対して過度に先鋭的になってしまうのでなく
自分の弱さも相手の弱さをも
均質に観ることのできる丸みをもつ
そんな大人に育っていって欲しい
我が娘達には
そんな淡い期待を持つ

そのためには
やはり親が”私”をいつまでも引き摺り主張していては
”目指すべき姿”など見えてはこないだろう

若くてもしっかりした芯を持ちつつも穏やかで人を癒すような女性がいることを知っている
年齢を重ねても、人を恨み、世の中を恨み、自分を可哀想がり
自分が攻撃されている…と身構える日々を送っているひともいる
親の生き方が、子どもにそのまま投影されているということを
痛感することも少なくない

愛されている
自分を助けてくれる人、支えてくれる人がいる
ひとは絶対ひとりでなんか生きていけない
生きている、それは自分ひとりの力で存在しているわけじゃない
たくさんのものに生かされている
それをきちんと実感しつつ
私利私欲ではなく無利無欲を大切にできるような
そんな穏やかでやさしい人間になりたい


・・・・と、今日もまた”無”の境地には至れなかったYOGAレッスンの帰り
穏やかで爽やかな秋の陽射しと風の中で
そう思ったheart02

ご先祖様の前でこころたいらかに
家族のしあわせをご報告し、これからも見守ってくださるように
お願いしてこよう。。。。

見守る

今日はチビの中学の文化祭
展示発表を見に行ってきました

技術、家庭科、理科などの自由研究や美術の模写など
夏休みの宿題の展示や
二学期早々にあった職業体験のまとめなど

全体の中、で見ると
「お~~~~~~、チビ、なかなか頑張ってるジャン!wink」っていうのもあれば
「ヲイヲイ、みんなすごいヤン。そりゃアンタ、これじゃ好成績は無理だわcoldsweats02」なんてのもある
逆に言えば
「お~~~~~~、この子すごい工夫してるなぁ」「すっごい絵の才能あるわぁ」って子もいれば
「え!???ちょっと、君、ホントにやる気ある!??」って子もいる
それぞれに得意不得意があるのが微笑ましい

そして、チビの作品をひとつひとつ見ると(夏休みの宿題、チェックしてやってないので、親もここで見るのが初めて・・だったりするsweat01
良くぞここまで頑張った!
成長したなぁ・・・って確実に実感できる
子どもは確かに、逞しく日々成長しているImage196 

特に親としてその成果が眩しかったのが職業体験のまとめ
連日ヘトヘトで帰って来た3日間だけあって、得たものも大きかったよう。。。
昼から仕事があったので充分な時間がなく、順番に上映されていたビデオはチビの出番まで見届けることができなかったけれど・・・・


夕食の時に3年次でのコース選択や秋講、冬講、特講の話を切り出したおネエ
国・社の上位からの席次と、数学の末尾からの席次とがほぼ同位という
まさに”私学文系”タイプながら
我が家の経済状態も理解し、センター試験に備えるべく
それなりに自分の進路を定めて、きちんとした方針を持っていることに
この子なりの成長を見る嬉しい驚きhappy02

総じて世間の評価芳しくはない公立高校ダケド
大学受験に向けたきちんとしたカリキュラムと、タイムリーで手厚いサポートで
自分で進路を適切に選べるよう導いていただいていること
本当にありがたいと思う


ここまでくれば
もう、手を引いて教え導くことなどいくらもなく
これからは少しずつ距離を置いて
見守ってやることが親の立ち位置になってくるのだろうな。。。
全体の中で俯瞰すること、ミクロに個人の成長を見てやること
このふたつの視点のバランスを欠くことなく。。。。

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