秋の日にもの思ふ
ここ数日で、対照的な母の物語を鑑賞した
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母として
我が子に懸ける想いや願いは
誰しも、海よりも深く、山よりも高い(はず・・・それを秘匿するか誇示するかの違いはあれど)
それを子どもは
その子の個性や感性に応じて、様々に受け止め、反応して
人格を形成しながら長じてゆく
それは、親と子どもとのマッチングであり、相性であり
だから育児に”サンプル”はあっても”お手本”はない
だけど、その”サンプル”の中にヒントがあることも
これまた真実
どんな親でも、一番の願いは
子どもが健やかに真っ直ぐに生きてくれること
この根本のところが保証されていなかったら?????
人にはその人が乗り越えうる以上の試練は与えられない、という
それは、ある意味真実
だからこそ、子どもは”選ばれて”この世に生を受ける・・・ともいう
しかし、”試練”とは乗り越えるばかりではなく、中に稀に”受け入れる”しかない、ものもある
受け入れられるか否か
それも、その人の器に応じて与えられるのだろう・・・・とも思う
しかし、同じ”受け入れ”るにしても、それが”生”に向かうものと”死”に向かうものとでは
受け入れる者の負担には大きな差が生じる
辻井いつ子さんと、キャメロン・ディアズ演ずるサラ
どちらも気丈で、パワフルで、一生懸命で、決して諦めない”強い母親”
いつ子さんには、そのパワフルさの中にも、気負いのなさが突き抜けていて呆気にとられる(それが彼女のポーズ、だとしたら、アタシは体よく彼女の術中にハマっているわけだけれど・・・)
サラの一途さは、もうガチガチで、家族は勿論、観客のこちらまでもが息苦しくなる
そして、その一途さ故に、子どもの気持ちを見落とし、家族を混乱に追い込んでいる独り善がりの哀しさ
しかし、”そりゃ、そうなるよな~~”と共感したのはサラに、だった
子育ての悩みは本当にひとそれぞれ
人から見れば”そんなことくらい”という些細なことでも
それぞれの器によっては大きな壁
それを”乗り越え”あるいは”受け入れ”る時に
いろいろな母親の姿、は解決策を示してくれはしなくても
自分の足元を照らす確かな灯りにはなる
そんなことをあれこれ思った秋の一日




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