« 関西の私鉄と帰省 | トップページ | Not 孤食 »

グッときた

昨日、チビのだらしなさを親に代わって叱っていたおネエ
「○ちゃん、あんたはそれでよくても、おとーさんやおかーさんが笑われて恥かくんやで。ちゃんと教えてるのに、教えてないように思われて!!」と。
その言葉にハッとした。

それぞれのご家庭でいろんな事情や信念がおありだろうから、他所のご家庭はいざ知らず、アタシ自身は、五体満足でいろんな可能性を秘めて健やかに生まれてきてくれた娘たちが、その長所を伸ばせず、不出来に育ってしまったならばそれは親の責任であり、子育てのマズさを、他でもない娘達に対して申し訳なくは思うけれど、それで他人様から後ろ指差されてもそれは自己責任、当然の帰結であって、恥だ、とは思ったことがない。

子どもなんて、よそ様のお子さんは言うまでもなく、如何に我が子といえども、思い通りになんて育たないし、思い通りに育てようなんて、とうの昔に諦めている。
まして、子どもを自分の作品のように思ったことは一度もないし、だからその出来不出来をとやかく言われてもそれは、娘達にとってマイナスな育ち方であったならば”この親に育てられたことを恨んで許してくれ!”と思うだけで、自分の評価が下がることに対してなんら無念に思うことはない。

だけど、おネエの気持ちは、ちゃんと外に向いているんだなぁ・・・、この子は”他人様の中で生きていく”ということの意味を、ちゃんと知って、それに対応しながら生きてるんだなぁ・・・・・と。


そう思えば、アタシも、自分が(自分自身の価値観の中で)理想的な人間に育たなかったのは親のせいではなく、自分自身の自分育ての帰結だ・・・とは思うから、諦めもつくけれど、
アタシがあまりにいい加減な人間だと、今でも他人様から教えを請われる立場にいる両親の立つ瀬がない・・・・・とは思っていて、そんな状況に親を追い込むことは何よりの親不孝だ・・・と、ともすれば易きに流れそうになる自分自身を律している面があることは否めない。

子どもって、いつか親を”守る”存在になるんだなぁ・・・・・
親も子も、自分自身の脚で立ち、互いに極度に依存し合うことのない健全な親子関係を常に意識してきたけれど、18の娘が親という存在を社会の中で守ろうとしてくれていることに気付いて、ウルっときた夏の終わり。。。。

« 関西の私鉄と帰省 | トップページ | Not 孤食 »

華音の日常」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 関西の私鉄と帰省 | トップページ | Not 孤食 »

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト
無料ブログはココログ

ブログパーツ

  • 簡単1分ヨガ!!
  • Twitter
  • 大好き♡久文先生
    ヨガインストラクター 久文 明子 SIZE=130px×220px
  • 布絵本
  • グリーンリボン お天気