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ことばは生きている

今日は市の人権施策課が主宰する「日本語学習支援ボランティア養成講座」の講義に行ってきました

多文化共生社会と人権尊重のまちづくりを目指した事業の一環として、市が”母語が日本語でなく、日常生活で日本語の会話や読み書きに困っている市民”を対象とした日本語教室を開催していることは、広報紙などで知っていて、関心もあったのだけれど、そのボランティア講座を受講するのはこれが初めて
全3回の講座のうち、初回の前回はだらだらと欠席してしまったことは先日ここでもカミングアウト済み
今日は父の日で、もう部活を引退したおネエも
「前期中間試験までまだ少し間があるし、じいちゃんに会いたいから一緒に行ってもいいよ」と言ってくれたことだから、実家に帰ろうか・・・・とも思い
どうせもうあと2回だから・・・という考え方もできるけれど、せっかく申し込んで受講できることになったのだから、あと2回はきっちり修了しよう!と出掛けて大正解!!!

受付に子ども達の小学校のPTAの仕事をした時にお世話になった元教頭先生が、校長先生を経て退職され、人権施策のお仕事をなさっているとのことでいらして、
「華音さん、頑張ってますね!」とお声を掛けていただいたのは、前回のお休みのこともありお恥ずかしかったけれど
大阪YWCA日本語教師会からいらした講師の先生のお話はとてもわかりやすく
”日本語を教える”ということに関しては、アタシが学部を卒業する頃に、母校でも多分世間の先陣を切って大学院にそういう講座が開設され、同級生にも卒業後にそこで学び、今その一線に立っている友人がいるし、アタシ自身卒業2年後に、帰国子女クラスの担任に任ぜられた時に、母校の大学院の日本語教育の授業を少し聴講させていただいた時以来だったのだけれど
あの頃に較べて”日本語教育”のカリキュラムもすごく整ってきたように感じるし、それに伴い教育者の質も格段に向上しているように思う

アタシ達、”日本語ネイティヴ”が「国文法」で五段活用、上一段活用、下一段活用と分けて考えている動詞の活用は、「日本語教育」ではⅠグループ、Ⅱグループ、Ⅲグループと分類されることや、活用形が未然・連用、終止、連体などではなく「て形」「ない形」「辞書形」などと呼ばれ教えられていること、形容詞と形容動詞とはひっくるめて「形容詞」と称され、国語でいう「形容動詞」は「な形容詞」と呼ばれていることなど
中学以来の文法が叩き込まれ定着している頭には、目から鱗
でも、これってすごくわかりやすくて、ネイティヴの日本人の子ども達にもこうやって文法教えた方が変な苦手意識持たせなくて良いんじゃないの???と思ったり・・・・

アタシは学生時代からずっと英語が苦手で、それは「英文法をきちんと意識してマスターしていないからだ!」とトクベツな英語教育を受けたわけではないのに、英語はかなりのレベルマスターしているツレアイにずっと言われ続け凹むことが多いのだけれど
うん、外国語の習得には本当に、系統立った文法の学習が必要不可欠であり、そして有効なのだということを痛感
実際、父親の煩い忠告を聞き流し、母親のアタシ譲りの”感性”でなんとか乗り切ろうとしているおネエは、文系受験を目指しているにも拘らず英語には苦戦しているし、父親譲りの理論派のチビは「英語は面白いし得意」と自認している
論理的思考が苦手で、国文学科でも「国語学」ではなく「文学」の方を専攻したアタシでも、中学高校の国文法で困ったことはなかったものなぁ
確かに”文法を制するものは、言葉を制する”のかもしれない
国語が苦手、って言ってる子ども達って読書量の多寡云々よりも、やはりある臨界期までに文法を正しく習得していない、っていうのが大きいのかも。。。。。

なんてことをつらつら考えるきっかけにもなる良い講義だったのだけれど
最後に先生が仰った
「語学教育は、何が正しいこれが間違っている、ということよりも、その言葉を使ってコミュニティで生きる人が、そのコミュニティで損をしない、人格を疑われることのない言葉の使い方の習得の手助けをすること」と仰ったのが、すごく心に残った
語学に限らず、それって『教育』の根幹なんだよね
当たり前のことなんだけれど、生きている人間の使うことばは生きている
アタシ個人は最近の「ら抜き言葉」がすごく気になって、個人的なメールなどでもら抜き言葉を使っているものを受け取ると、”あ、この人日本語間違って使ってる”と違和感持ってしまい、きちんと文法的に正しい言葉で書かれている小説なら安心して読めるけれど、ぐだぐだにくだけた口語で書かれた小説などはちょっと読んでいて疲れてしまったりするのだけれど
だけど、「ら抜きことば」にしても「若者口語」にしても、それがそのコミュニティの中で息づき、通用しているのであれば、それを躍起になって「それは間違ってる!」ということは必要ないのだね
勿論、家庭で娘たちが”ギャル語”で話していたりすると、「それ、日本語と違うから」と苦言を呈しはするけれど、彼女たちが”何が正しい日本語か”と言うことを知っていて、常識的な社会生活の中でそれを使うことができるのであれば、彼女たちの仲間内で”ギャル語”を駆使していようがとやかく言うことはない
う~~~ん、多文化共生は何も国境を越えてあるだけではないんだな・・・・
また良い”学び”を頂きました

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コメント

フージー先生>
フージー先生は、日本を飛び出されて英語をまさに文字通り”体得”してこられたり、今もスペイン語を学んでいらしたり
語学だけでなく、”卒論”を書くような大きなライフワークに取り組んでいらしたり・・・・
日本語教師のお勉強もなさったんですネェ。。。。。
人一倍好奇心は旺盛なんだけど、ヘタレで何事も中途半端なアタシは、本当にその学びの姿勢には、深く感銘を受けます

結果が出ることはやっぱり大切ですが、思うような結果が出なくても、そのために”精一杯の努力をする”っていうことは、絶対に大きなものをもたらしてくれますよね
アタシは何事もあまり結果に拘らない(拘らなさ過ぎ!という指摘は学生時代からついて回ってるんですが・・・・・)性格なんですが、それでも、やっぱり努力する人、努力の成果は尊敬に値するなぁ・・・って思います

仕事上の必要性から、フランス語をちょっとばかし齧ってみたり、イタリア語やスペイン語は話せるようになりたいなぁ・・・と思ったりするんですが、強いモティベーションがなかなか続かなくて・・・・・
フージー先生を見習って頑張りたいです

実は、私も以前一年間、日本語教師の勉強をしていました。
試験まで受けたのですが、かなり難しく落ちてしまいましたが…
日本語って本当に難しいと、勉強をしながら頭の中が混乱だらけだったのを思い出します。
日々、日本語も若い人たちから新しい言葉が生まれているなぁーと感じます。
言葉って面白いですよね。
英語でも、日々いろいろな表現の仕方が生まれています。
私は学校での英語の成績は全くといっていいほど、ダメでしたが
実際カナダに行ってみて、話さなくてはいけない情況になると、
案外話せるようになるものです。
文法をきっちり理解できてはいませんが、言葉って面白いなーって思います。

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