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國米 欣明 『教えて!子どもの反抗期』

41vbfegtill__sl100_ この本を借りてきてダイニングテーブルに置いていると
「おかーさん、なんかアタシのことで悩んでるん?だったら、こんな本読まんでも、アタシに聞いてくれたらエエヤン!」「おかーさん担任も持ってないんやし、別にこんな本読む必要もないヤン。なんでこんなん借りてきたんやろ?と思ったで」とおネエ
いえいえ、ありがたいことに、貴女達からは、ごく健全な成長過程に於ける自立心、自我の発露以上の”方向性の危うい反抗”を感じることはないので・・・・・
ただ、身近にお子さんへの接し方に苦慮し、行き詰るとSOSメールをくれる友人が何人かいらして、そのたびに場当たり的な気休めは言いたくないので・・・・・


”子ども中心主義”に警鐘を鳴らす医学博士の著書

「科学からの」と銘打ってあるほどには『科学的』とも言えないのでは?と思うけれど
発達や教育に関して、今さかんにもてはやされ、似非脳学者も横行している『脳科学』だって眉唾だ・・・ということを鑑みても
「科学的」な分析とはデータ解析であり、そのデータの母集団によっていかようにも違う結果が導き出される・・・ということに留意して各自読み下せばよいか・・・・と


ただ、全然”科学的”ではないと思うが、やはり

人間形成の成否をにぎる鍵は、結局、自己抑制力(自制心)があるかないか。子育ての究極の目的もそこにある。
人生の早い時期の家庭の教育こそが、それ以後の子育ての成否の鍵を握っており、そこに「子育ての真髄」があるといえる


人間の完成度を無視して、親と子や、教師と生徒を等価とみなすのが平等だと考えるなら、教育は成立しない。
社会では、機会だけが平等に与えられ、結果の平等は保証されていないから

というのには、経験的にも、おおいに共感する


「悪を知り、悪を為す」ことがどんなに反社会的なことであり、忌避すべきものであるかには反論の余地がないが
では、結果的に”悪をなさない”コトにも「悪を知って、悪をなさず」と「悪を知らず、ゆえに悪がなせず」との間にはかなりの隔たりがあり
正当な価値判断のできない子どもは、悪を反面教師にすることが困難であることも容易に理解できる


しかし・・・・
この本に書いてあるくらいのことは、真剣に子育てに取り組む意志のある方、真剣に子育てに苦慮し、なんとかしたい!と思っている方ならば十二分に諒解されていること、なのではないだろうか?
子育て本に限らず、どんな分野でも、本当に必要な人には届いていない、ということが一番のネック、なのだろうな
それでも、世の中を”改悪”するような流れだけは、いち早く広まる・・・・・のは
同じように情報を流していても、ニンゲンの本質として
”自らに甘い”ことには飛びつき、”口に苦い良薬””耳に痛い諫言”には背を向ける
その”本質返り”が急速に進んでいるから・・・なのだろうな
ニンゲンなんて、そんなゴリッパなものじゃないから
いつの時代だって、ニンゲンが完璧に品行方正な社会を築いてきたためしはないのだけれど
それでも、こうまで”平等化””等質化”が進み、本来持つべき”ノブレス・オブリージュ”を捨てることに”自己満足”し
(自らを含めた人類の愚かさに対する)包容力もないのに(ないから、か)本来負うべき責任は放棄し、高みから”ああしろ””こうしろ””こんな社会でなければならない”と
(ネット社会を中心に)高度に発達した情報社会で
ゴリッパなご意見だけをのたまう”有言無実居士”
あるいは、不平不満だけを吐き出している”愚痴仙人”が散見される

そりゃぁ、子ども達も、見てるよね
そういう親の姿は
親がしないしんどいこと
子どもはしたいなんて思うはずないよね

”私はこうしてきた”結果、だけでなく
”今”私はこういう社会にどう関与しているか
そこに”子どもに見せるべき大人の姿”や”責任”があるように思
・・・・えば、背筋を伸ばさざるを得ませんね

その反抗が、成長過程に於ける必要なステップの域にある行動なのか、或いは反社会的な”異常さ”を持つものなのか、自らの育児を振り返り、冷静に判断するには秀逸、だと思う

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コメント

3わんこおかたんさん>
いえいえ、ホント、”杞憂”でもなんでもなくて・・・・
でも、子ども達は”被害者”だと思うんですよ

仰る通り、心身ともに充分に育っているとはいえない小さい頃から”もっと””もっと”とできることを次から次へと要求され”いかにたくさんの情報を持っているか”だけで人格まで評価されるような風潮
子どもの評価を子育ての勲章のように望む親のエゴと、教育産業の商業主義の生贄だとしか思えなくて・・・・

今、幼児教育にも関わっているのですが、幼稚園児が
”誰よりも早くできること”に鼻を高くしているのを見ては、こりゃこの先の学校教育、前途多難だわ・・・と思わざるを得ません
「この時間は、早くできることよりも、ちゃんとお話を聞いて、自分が今何するのかをちゃんと考えることの練習だよ~」「先先勝手なことしてる子はかっこ悪いな~」とイジワル言っちゃってます


”今”できること、”周りを良く見て配慮し、その成長過程に応じたことが充分にできていること”をもっとちゃんと評価できる親であり、大人でありたいな・・・と切に思います

今のこどもは…のフレーズはいつの世も言われることですが、現在のこどもたちを側で見ていると危機感を持つのは杞憂なのでしょうか?
心身ともに十分育っているとは言えない段階で、いろんな情報だけが入り、取捨選択できないまま知っているつもりになり、頭でっかちになってる現状…
仰るとおり、私達大人がこどもたちに見せるべき姿、責任をもう一度考えなければならないと思います。『今のこども』を育てた以上は…

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