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黒武 洋 『そして粛清の扉を』

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世の中で、本当に罰せられるべき人が罰せられるべき程度に罰せられ
罪を赦された人が、本当にその赦しに値する更生をしているのか???
ということをツレアイともよく話す

現行法は正しく人を裁いているのか?
そもそも、人が人を正しく裁くことができるのか?
本当に”正義”だけを貫こうと思ったら、中村主水みたいな人がいないとアカンわけよ・・・と彼は言う

まさに、この作品の女教師は”現代女版中村主水”

これはフィクションだし
こんなにも極悪な子ども達が集まった吹き溜まりみたいな集団(まるで”ごくせん”の3-D。ヤンクミは”可愛い極道生徒”を守る(性善説)けれど、この3-Dのコンアヤは、”打つ手のない極道生徒”を世に出す前に粛清する(性悪説))は、さすがにいかに荒れた学校といえども、”学校”と名のつく組織の中には絶対存在しない(ここまで手のつけられない子ども達をいかに”お布施の為”といえども、在学させておく価値はない、と看做すのが学校という組織の最後の良識だと思う)だろう
現在係争中の被告人を実名で書いたノンフィクションが問題になっているけれど
このフィクションでも充分に社会に問題提起できうるのだから
敢えて実名を挙げずとも、実際に起こった事件を取材し、下敷きにした小説ででも、問題提起はできると思う

フィクションではあるけれど
しかし、子ども達の実態や子どもと親との関係性の希薄さ
学校の実態など
ある意味すごく現実に肉薄している
だからこそ、怖い

テレ朝主催のホラーサスペンス大賞第1回受賞作で、その時の選者の一人宮部みゆきさんが
「但し、わたしは、この作品の底に流れる”無垢の被害者側からの報復は、どんな過激な形をとったとしても許されるのではないか”という問いかけにうなずくことはできません」と述べられたらしい(本書、解説より)が
それはいつも作品が温かく終わる宮部みゆきさんらしい言葉だと思うが、別にこの作品の根底にこういう問いかけが流れている、とは私は感じなかった。
なぜなら、粛清の名の下、復讐を果たした女教師は、虚しさと痛みを確かに感じているのだから・・・・


既存のレビューの中に”キョウハンシャ”について言及されていたものもあり
それを頭の片隅に置いて読み進めるうちに、アタシの中で共犯者はこの人、というのは確信になり
そして、結局それは当たっていた
ただ、最後に明かされた事実は衝撃だったし(でも、それについてもエピローグでちゃんと伏線はあったわけだけど)
その事実を伝えた本人自身ですら、彼らの接点を知らずにいたわけだから
すべてを掌握できたのは、読者である私たちだけ…という優越感(!???笑)が最後に残る

子どもを”粛清”するのは、他者であってはいけないし
親が粛清しなければならないような事態に陥る前に
どこかで、もっと小さな芽のうちに
打つべき手はなかったのだろうか・・・・という
少年による凶悪犯罪、残虐な犯罪が起こるたびに湧き上がる想いが
また頭をもたげた

怖いけど
親である人間にとっては
読む意味はある、と思う

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