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福田 誠治 『子どもたちに「未来の学力」を』

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教育関係者や教育にちょっと関心があり常に情報を得ようと意識している人間ならば誰でも知っている日本教育の沿革が
わかりやすくまとめられている
と思う

・ 「質の高い教育」というときに、日本の場合、大人が決めた尺度における序列の高さでしか判断していません。
・ 結果的に一部の能力しか測ることのできない単純な尺度でしかないので能力開発が押しとどめられてしまう。
・ 日本の学力観は、能力の質自体を高めようとしている国際的な競争社会には、適合していない。一律に学び、国内で序列をつくっていては、国際経済のスピードや変化にはついていけません。
・ 教師の仕事は、「子どもたちをやる気にさせ、その意欲をいかに持続・前進させるか」ということで、答を教えることではない。

なるほど、正論!!!

しかし、(日本の施策っていつもそうなのだけれど)、ここのこういう制度が良い!!からと言って、それをそのまま持ち込み、ただ”猿真似”したところで、根本的な解決には繋がらない

民主党は、教員免許懇親講習を廃止し、その代わりに教員免許取得の条件に大学院修了を義務付ける・・・としている
確かに、フィンランドではすべての教師が修士号を取得することが要請されているらしい
しかし、それだけではなく、教師は就職後も常に学び続け、新しい教育思想や教育方法を探究し続ける自己研鑽能力と意欲とを求められている

現職教員からの不満の多かった更新講習を撤廃し、これから教員になる者の資質を高める・・・・
なんか違うんじゃない??
長く学べばそれだけ教師としての資質が高まるのか?
研修年限云々よりは、その人の資質、適性が大きくモノを言うのではないか?
教員採用のあり方そのものを問い直すことの方が根本的解決に繋がるのでは??
教師は、なってからの自己研鑽能力、意欲こそが大事なんじゃない??
勿論、現職の教師は皆さん、現状でも様々な研究組織に所属し自己研鑽を深めてはいる
そんな先生たちが、「更新講習」が義務付けられると抵抗を示すのは何故??
確かにアタシは”拙速”で、無駄金使っちゃった一人、ではあるけれど
更新講習、それはそれで、自分からは着目しないようなところにも目を向けさせていただける、いいきっかけにはなった、と思う

更新講習を無くす方向ではなく、講習成績を点数化し、篩い落とすのではなく、現職教員が自己研鑽にもっと時間を費やせるように教師の職務をスリム化し、また誰もが無償で、必要な研修と、望む研修とを受けられるような経済的なバックアップが必要ではないのか?

今、日本の教育界では、教師の職務は教師が決められるものになってはいない
教師の職務を肥大化させているのは”社会のニーズ”であり”その社会に生きる親のニーズ”である

『学校は人間を育てるところ』という教育の本質が、親や、親である大人を単に”労働力”として取り込みたい資本経済社会の良いように解釈され、本来ならば家庭教育で培われるべき人間としての基礎ができていない子ども達が”学校教育現場”に放り込まれる
充分に子どもに掛けるべき時間を、経済活動に取られ、丸投げ外注している親が多くはないか?

『学校は人間を育てるところ』ではあるけれど、”人間を育てるところ”は学校が必要充分な場ではなく、『学校も人間を育てる場の一つ』である、という正しい読み取りが為されていないがために、学校以外での人間教育の機能を、家庭や地域社会が喪ってしまっている
「家庭でできないことは社会全体で受け持つ」ことは「家庭でしなくても良い」ということと同義ではない、というごく当たり前のことが、日本の知識人や一般市民に浸透していない
それが、日本とフィンランドとの大きな違い、なのではないか?という推論は成り立たないか???
「教養」の違い、とは、そういう「良識の浸透の度合い」の違い、ではないか?

何かの「短所」をあげつらうことは簡単で、それに対する「対策」を論ずることこそが難しい
良い、ともてはやされるものをそのまま持ってきて旧来のやり方と挿げ替え、根本的な見直しをしない『洋頭和肉』よりも
良い、ともてはやされるもののどこが良いのか、何故良いのか、それが現状、実態にどう生かせるのかを考える『和魂洋才』が必要ではないか??
PISAの学力調査の『結果』は、それだけをみれば、順位付け序列の好きな”競争原理”に慣れきっている日本国民、日本社会には衝撃的だけれど
従来型の日本の教育は、「突き抜けてデキル子ども」を頭打ちにしたかもしれないけれど、国民のレベルを総じて向上させ、もとより勤勉で画一的な民族の資質に相俟って日本の高度成長を支えた
そこを踏まえ、日本社会、日本民族の特質を生かしたお手製の教育改革こそが必要となろう

「村を育てる学力」を主張した生活綴り方の東井義雄を輩出した兵庫県の村からは、百ます計算で村の子ども達を東大へと送り出し(!???笑)「村を捨てる学力」を伸ばし、自らも村を捨てた陰山英男を輩出した
そういう教育を支持し、もてはやしたのは他でもない競争社会に狂騒する日本社会なのだ

著者は
・ 教育の中立性を保つためにも、政治・行政の介入から、教育内容を守る必要がある
・ 「テストで高い点数が取れることは、人間の価値のほんの一部でしかない」と断言できる教師であってほしい
と述べる

多すぎる労働時間に疲弊し、自らの健康と生活とを守ることに主眼が置かれている(かのように見える)教職員権利団体が、政党の一大支援団体になるような現状はいかがか?
政治と教育とは持ちつ持たれつ、でよいのか?
教育に限らず、どんな職種においても、組織が政治に及ぼす影響は小さくはナイ
マクロに見れば、お互いに独立し、こころある現場の人間が、正しく現場の現状と進むべき道とを提言できる
そんなクリアな社会構造ができるべきであろう

また、
・ 親には「自分の子どもは自分で育てる」という深い自覚が必要
・ 親が子どもの学びに、日常的に関心を持ち、家庭にも学びの環境、雰囲気を作ることは非常に重要なこと
とも著者はいう

ミクロに見れば、親の意識改革
隣の子どもに比べてうちはどう、というのではなく
うちの子は2ヶ月前に較べてこれだけのことができるようになった
という視点が大切だし
誰それがああしてくれないこうしてくれない、という前に
自分たちでどれだけのことができたか、と問い直し
うちの方針はこうで、これだけのことができたから、それで良いと胸を張れる親の姿勢は、子ども達に大きな安心感と自信を与えるに違いない

子ども達に未来の学力を与えられるのは
”誰か”ではなく、今社会を中心になって担っている
子ども達の親世代のアタシ達国民すべてに掛かっている
そんな、悲観すべきことばかりでもないんじゃないか??

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